バンコフエキ




 万 古 不 易






一時の流行ではなく、永久に変わらないもののこと。



類似表現の夥しい四字熟語である。「百世不磨」「千古不易」「千古不抜」「千古不変」「千古不滅」「万古千秋」「万古長青」「万古不死」「万古不磨」「万世不易」「万世不朽」「万世不易」「万代不易」「万代不朽」「万代不変」「一定不変」「永遠不変」「永遠不滅」「永久不変」「永劫不変」「恒久不変」「常住不断」「不朽不滅」「不死不朽」……



森鷗外追儺」に用例がある。
《凡て世の中の物は変ずるという側から見れば、刹那々々に変じて已まない。併し変じないという側から見れば、万古不易である。》



夏目漱石吾輩は猫である』には「万古不磨」の用例がある。
《滔々たる流俗に抗する万古不磨の穴の集合体があって、大いに吾人の尊敬に値する凸凹と云って宜しい。》



芥川龍之介俊寛」の用例は「万代不変」である。
《ただ好みが違っているのじゃ。しかし好みと云うのも、万代不変とは請け合われぬ。》



山本有三『海』の用例は「万古不死」だ。
《その晩、行介は「アメーバから人間まで」を、うちに持って帰って読んだ。「遺伝質、親が子を産むか」という章に、有名なワイズマンの生殖質連経説の説明をして、細胞に生殖細胞と体細胞の区別があり、体細胞は一代かぎりのものであるが、生殖細胞は絶えず分裂して、無窮につながって行くものである。ちょうど芝のように、その始めにはえたものは茎根をだして、冬になると、その株は枯れるが、その根のさきから、翌年になると、新しい茎がはえる。そして、これもまた枯れるが、茎根は生きていて、春がくると、また新しい株がはえる。こうして、芝がいつまでも存続しているように、身体質は毎代に生殖質から分かれて各個体となるので、この個体は一代かぎりであるが、生殖質は万古不死である、と結んでいる。》
「その晩」というのは、「卵が先か、鶏が先か」という議論をしていて、同僚に「卵が先」と教わった日の晩である。しかし、行介はここから、個を越えた、超越的な「生きる意志」(ショーペンハウエル)を自分のものとすることはできない。
そもそも『波』は、我が子が我が子であるか否かで懊悩する物語であるから、DNA鑑定のある今日であれば成立しない物語なのだが、それゆゑに万古不死に至ろうとする物語であると約言することもできないではない。それが揺れであると同時に普遍である“波”として表象されるわけだ。
なお、『東京朝日新聞』の『波』の予告文には「千古解きがたきなぞ」という言い回しがあったことも付言しておこう。



ともあれ「万古不易」とは、「滔々たる俗流に抗」し「無窮につながって行く」凹凸のことであり、イメージとしては今日でいうところのDNAでも想起しておけばよいということになろうか?