オカメハチモク




 岡 目 八 目






はたから見ている方が、当事者よりも情勢を正確に判断できること。「他人の正目」ともいう。



もとは囲碁から来た語。「八目」の「目」は碁盤の目を表してをり、対局者よりも観戦者の方が冷静であるから八目先まで手が見えるというところから来た。一説によれば「八目」は相手から勝ち取る目の数ともいう。「八つの眼」と解釈する説もある。



「岡目」の「岡」は「岡惚れ」「岡焼き」「岡評議」の「岡」と同じで「傍」の意味である。「傍目八目」とも書く所以だ。ただし、文字通りの「岡」、すなわち「丘」と解する説もある。



永井荷風「腕くらべ」に用例がある。
《吉岡の為めに今夜は駒代といふ芸者の値打をば岡目八目真実間違のないところを見届けやうと思つたのである。》



司馬遼太郎国盗り物語』にも用例が見える。
《寺から一国の政治を見ていると、傍目八目で、あらばかりがみえるのであろう。》



国枝士郎『染吉の朱盆』の用例も引いておこう。
《一つの事件をあばこうとしたら、渦中へ飛び込んじゃいけないよ。いつも傍から見るんだなあ。渦の中へ一緒に巻き込まれようものなら、渦を見ることが出来ないからなあ。ほんとに岡目八目さ」これがこの男の口癖である。》
なるほど、岡っ引きの岡八のみならず、私たちも口癖にしたい四字熟語である。



ただし、その一方で勝海舟「大勢順応」の言葉も忘れてはいけないだろう。
《所謂岡目八目で、他人の打つ手は批評が出来るが、さて自分で打つて見ると、なかなか傍で見て居た様には行かないものさ。》