イツボウノアラソイ




 鷸 蚌 之 争






無益な争い。



鷸というのは水鳥の一種で鴫かと言われ、蚌は貝の一種で溝貝かと言われるが、まて貝とも蛤とも諸説あって判然としない。出典は『戦国策』で、一般的には「漁父之利」(「漁夫之利」)という故事成語で知られている。だから、「鷸蚌之争、漁父之利となる」という言い方もなされる。



「漁父之利」は大略、次のような話である。蚌が貝殻を開いてひなたぼっこをしていたら、鷸が蚌の肉を啄うとするので、貝殻を閉じて防衛に努めていた。鷸は蚌に「開けなければ死ぬぞ」と脅し、蚌も鷸に対して同じように脅迫して、お互いに譲り合うことをよしとしなかったところ、通りがかりの漁師が両方を捉まえたとさ。無益な争いをすると、第三者が得をするよというのが教訓である。



この物語には、背景がある。戦国時代に趙と燕が争っていると、強国である秦に滅ぼされてしまうという危機感が、このような寓話となったのである。



「犬兔之争」ともいう。犬が兔を追いかけて、共に疲れて死んだのを百姓が拾ったということだから、「鷸蚌之争」と最も似た四字熟語と言えよう。



森鷗外『青年』のなかでイブセンの『ジヨン ガブリエル ボルクマン』を観劇する場面があるが、ここに用例を見ることができる。
《幕が開いた。覿面に死と相見てゐるものは、姑息に安んずることを好まない。老いたる処女エルラは、老いたる夫人の階下の部屋へ、檻の獣を連れて来る。鷸蚌ならぬ三人に争はれる、獲ものの青年エルハルトは、夫人に呼び戻されて、此場へ帰る。母にも従はない。父にも従はない。情誼の縄で縛らうとするをばにも従はない。「わたくしは生きようと思ひます」と云ふ、猛烈な叫声を、今日の大向うを占めてゐる、数多の学生連に喝采せられながら、萎れる前に、吸ひ取られる限の日光を吸ひ取らうとしてゐる花のやうなヴイルトン夫人に連れられて、南国をさして雪中を立たうとする、銀の鈴の附いた橇に乗りに行く。》



巌谷小波『こがね丸』にも、次のような用例が見える。
鷸蚌互ひに争ふ時は遂に猟師の獲となる。それとこれとは異なれども、われ曹二匹争はずば、彼の猫如きに侮られて、阿容々々雉子は取られまじきにト、黄金丸も彼の猟犬も、これかれ斉しく左右に分れて、ひたすら嘆息なせしかども。今更に悔いても詮なしト、漸くに思ひ定めつ。》



2つの用例に学ぶ限りでは、「『鷸蚌之争』とは少し違うのだけれども…」というニュアンスの使い方が一つの型としてあったのかもしれないと思う。