ユダンタイテキ




  油 断 大 敵






気を緩め注意を怠ると、必ず失敗を招くから、十分に警戒せよという戒め。「伏寇在側」( フクコウザイソク )「油断強敵」( ユダンゴウテキ )「油断は不覚のもとい」「油断は怪我のもと」などともいう。



「油断」という語の由来は『涅槃経』にある。昔、ある王様が家来に油の入った鉢を持たせたとき、一滴でもこぼしたら命を断つぞと言い、背後に抜刀した者を付き添わせたという故事から「油断」という語が生まれた。油は貴重だし、危険でもあるので、気が抜けない。それは今日でも同じこと。「寛(ゆた)に」の転、という説もある。



「油断大敵」という四字熟語の由来は、国文学者・金子武雄さんによれば、「絶えず敵と対峙し、命をかけて生きていた武士の切実な体験から生まれたものであろう」とのことだ。『北日本新聞』(12月4日)のコラムで知った又聞きであるが、なるほどと思った。江戸のいろはがるた、浄瑠璃などにも見えるから、江戸時代の言葉だと勘違いしていたが、起源はもう少し遡るのかもしれぬ。



それにしても、この「油断大敵」という言葉、いかにも日本的な匂いのする言葉ではある。太宰治は「もの思う葦」で次のように言っている。
《日本には、ゆだん大敵という言葉があって、いつも人間を寒く小さくしている。芸術の腕まえにおいて、あるレヴェルにまで漕ぎついたなら、もう決して上りもせず、また格別、落ちもしないようだ。》



思わず「どっこいしょ」というあの声が聞こえてきそうだ。神なく、向上心を持たぬ日本人への痛切な批判であろう。太宰は子守のたけから「油断大敵でせえ」と言われて育った作家である*1



太宰と同じく無頼派とか新戯作派などと称されることもあった石川淳にも用例が見える。
《舜はますますいいきもちに酔ひつぶれてゐたところ、油断大敵、わざはひは牆の内におこつて、ある夜突然、娥皇女英ふたりそろつて店からすがたを消した》



「おとしばなし堯舜」からの引用であるが、石川淳には「おまへの敵はおまへだ」という作品もある。戦時下には「内敵」という言葉が流行したが、この書き手は内側の敵を指呼することの多い印象がある。



夢野久作「爆弾太平記」にも用例がある。
《……どうしてって君、わからんかね……と……云いたいところだが、そういう吾輩も実をいうと気が付かなかった。朝鮮沿海からドンの音が一掃されたので、最早大願成就……金比羅様に願ほどきをしてもよかろう……と思ったのが豈計らんやの油断大敵だった。ドンの音は絶えても、内地の爆弾取締りは依然たる穴だらけだろう。ちっとも取締った形跡が無いのだ。藁塚産業課長の膝詰談判が、今度は「内地モンロー主義」にぶつかっていた事実を、ドンドコドンまで気付かずにいたのだ。》



ちなみに、私の好きな言葉は「油断酒」。『仮名手本忠臣蔵』に出てくる。「由良助が放埒に心もゆるむ油断酒。」油断するのか、させるのか。けれども、祖母によく言われていたっけ。「勝って兜の緒を締めよ」「敵に勝ちていよいよ戒む」と。皆様もどうぞ、慢心、内敵、討ち入り、火の元などに、くれぐれもご用心ください。





*1:太宰治は太田静子宛書簡にも用例がある。《これから、手紙の差出人の名をかへませう。/小田静夫、どうでせうか。美少年らしい。/私は、中村貞子になるつもり。私の中学時代の友人で、中村貞次郎といふとても素直ないい性質のひとがゐるので、あのひとのいい性質にあやかるつもり。/これから、ずっとさうしませう。こんなこと愚かしくて、いやなんだけれども、ゆだんたいてき。》引用は太田治子『明るい方へ』(朝日新聞出版)による。