ライデンヘキレキ




 雷 電 霹 靂






急に雷が鳴り響き、稲妻が走ること。
雷を表す四字熟語はいくつもある。「電光雷轟」「雷轟電撃」「雷轟電転」「雷霆万鈞」……。しかし、私は「雷電霹靂」を偏愛する。
「霹靂」は、今や辛うじて「青天の霹靂」という表現だけが有名なようだが、「霹靂」とは「雷電霹靂」、つまり急激なる雷電を意味するのである。



この四字熟語は「今昔物語集」から学んだ。「今昔物語集」では雷が鳴るとき「雷電霹靂」という四字熟語が頻出するのである。巻第二十二第七「高藤の内大臣の語」を例に挙げてみよう。
高藤が鷹狩に出たとき、雷がひどくなり、雨宿りに入った「賤しの下衆の家」で、美しくかわいらしい少女と出合い、契りを結ぶ物語である。



《申時許りに俄かに掻暗がりて、シグレ*1降り大きに風吹き、雷電霹靂しければ、共の者共も、各馳せ散りて行き分れて、雨宿りをせむと皆向きたる方に行きぬ。》
《其の程、風吹き雨降りて雷電霹靂して、怖ろしきまで荒るれども、返すべき様なければ此くて御す。》



少女は次のやうに登場する。
《暫し許有りて臥しながら見給へば、庇の方より遣戸を開けて、年十三四許有る若き女の、薄色の衣一重、濃き袴着たるが、扇を指し隠して片手に高坏を取りて出で来たり。恥しらひて遠く喬みて居たれば、君、「此ち寄れ」と宣ふ。和ら居ざり寄りたるを見れば、頭つき細やかに、額つき髪の懸かり、此く様の者の子と見えず、極めて美麗に見ゆ。(略)其の後手、髪房やかに生ひ、末膕許は過ぎたると見ゆ。》



契りて後、鷹狩を禁じられた高藤の君は、四〜五年後に漸く姫と再会を果たすが、そのときには五〜六歳くらいの女の子がいて、不思議に思って姫の父親に尋ねると、高藤の君の子という。その子を女御に奉りなさったところ、醍醐帝を生む。高藤は外祖父として出世する。最後は、こう締めくくられる。
《此れを思ふに、墓無かりし鷹狩の雨宿に依りて、此く微妙き事も有るは、此れ前生の契なりとなむ、語り伝へたるとや。》



現代の恋愛ドラマでもそうだし、古典の世界でもそうであるが、雨宿りや雷といった気象は、恋愛に欠かせぬ道具立てであるようだ。スリル、そして意外性を演出してくれる。もっとも、今日の眼、そして女性の側から見れば、この展開がはたして幸せなのかと訝る声もあってよい。ただ、少女の描写は雰囲気づくり巧みであり、ディテールを凝っている点に語り手の感情移入が窺える。おそらく雷電霹靂がきっかけとなったシンデレラ譚として、当時この説話は語り継がれたのであろう。そもそも「日本霊異記」が「雷を捉ふる縁 第一」に始まることに象徴的だが、説話と雷の因縁ということについては、改めて熟考してみたいところである。



さて、私が「雷電霹靂」を偏愛する理由は、「今昔物語集」を愛読するがゆえでもあるが、四字すべてが雨冠であるという形姿に惹かれるところも大きい。



今日の立山、残念ながら雷電霹靂とはなりそうにない。好天。





*1:雨冠に衆と書く字