リョウシンコウケイ
良 辰 好 景
佳き日の佳き情景のこと。「良辰」は「色葉字類抄」によれば「ヨキトキ」とある。おめでたい日、吉日、吉辰、佳辰の意だ。「良辰美景」ともいう。
この四字熟語について、苦情というか、質問を受けたことがある。辞書を引いても、載っていない、と。たしかに、この四字熟語とは、私も三度しか出合いがない。二度は漢詩で、一度は中国語で、だ。中国語の辞書を引いたら載っているが、日本語の辞書にはたぶん載っていない。漢詩というのは、正確に言えば、北宋の流行詞人であった柳永という人の「雨霖鈴」という漫詞である。もう一つは、失念してしまって、どうしても思い出すことができない。
《多情自古傷離別 多情古より離別を傷む
更那堪冷落清秋節 更に那ぞ堪へん 冷落清秋の節
今宵酒醒何処 今宵酒の醒むるは何れの処ぞ
楊柳岸曉風残月 揚柳の岸 暁風残月
此去經年 此れより去つて年を経なば
應是良辰好景虚設 応に是れ良辰好景も虚しく設けしのみなるべし
便縱有千種風情 便ち縦ひ千種の風情有るも
更與何人説 更に何人にか説はん》
別離ほど悲しいものはない。しかも、よりにもよって、万物が冷落してしまう秋という季節であるとは。一緒に酒を酌み交わしたが、アルコールは一体どのあたりで抜けるのだろうか。柳の岸辺であかつきの風に吹かれながら空に残る月を見ているときだろうか。ここを去って数年が経てば、せっかくの良辰好景も必ずや虚しいものとなるに相違ない。たとえ千の風情があったとしても、それを誰に説明すればよいのか分からないのだから……。
わが国の古典では「良辰美景」の方が用例は多いようだ。たとえば「古今集」の真名序がある。
《古天子、毎良辰美景、詔侍臣預宴筵者、献和歌。君臣之情、由斯可見、賢愚之性、於是相分。所以随民欲、択士之才也。》
(古の天子、良辰美景ごとに、侍臣の宴筵に預かる者に詔して、和歌を献ぜしむ。君臣の情、これによりて見るべく、賢愚の性、ここにおきて相分る。民の欲に随ひ、士の才を択ぶ所以なり。)
昔の天子は、良辰美景にかこつけては、宴席にはべる家臣たちに命じて、和歌を詠ませた。天子と家臣のコミュニケーションといったものは、こうした歌会によってはかるのがよく、家臣の能力の差というものは、こうした歌会で分かり合うものであった。歌会は家臣の願いを聞き入れ、人材を抜擢する手段であったのだ。
これはまた、「源平盛衰記」にも、見えるものである。
《凡そ和歌は、国を治め人を化する源、心を和し思ひを遣へる基也。故に古の明王、月の夜、雪の朝、良辰美景ごとに、侍臣を召し集めて夢の歌を奉らしめて、人の賢愚を知ろしめすといへり。》
「良辰好景」や「良辰美景」は、今日の日本ではあまり使われることのなくなった四字熟語と言ってよいだろうが、この記事がきっかけとなって少しでも再興するならば愉快に思う。
今日の立山も亦、良辰美景なり。