テンシンランマン




 天 真 爛 漫






屈託がなく、無邪気なさま。心の赴くままに行動し、明るいこと。
「純真無垢」「性命爛漫」「天衣無縫」「天真独朗」「天真流露」「無縫天衣」ともいう。



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狷潔『輟耕録』が出典とされる。



《嘗て自ら一幅を写すに長さ丈余、高さ五寸許りなるべし。天真爛漫、物表に起出す。》



つまり、もともとは絵の出来映えを評する語であったのである。



なお、ついでながら『曹洞録』や『寶鏡三昧』などの禅書には「天眞而妙 不屬迷悟」(天眞にして妙なり、迷悟に屬せず)という語がある。



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久米邦武『米欧回覧実記』に用例がある。



《仮山の経営を仮らす、天然により修めて公苑とせり、故に天真爛漫として、意味深遠の勝致あり》



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夏目漱石『行人』にも次の用例が見える。



《自分は兄の気質が女に似て陰晴常なき天候のごとく変るのをよく承知していた。しかし一と見識ある彼の特長として、自分にはそれが天真爛漫の子供らしく見えたり、または玉のように玲瓏な詩人らしく見えたりした。自分は彼を尊敬しつつも、どこか馬鹿にしやすいところのある男のように考えない訳に行かなかった。自分は彼の手を握ったまま「兄さん、今日は頭がどうかしているんですよ。そんな下らない事はもうこれぎりにしてそろそろ帰ろうじゃありませんか」と云った。》



「天真爛漫」と言ったときに、まず想起されるのはやはり子供である。逆に言えば、「子供」/「大人」の別が発見された近代になってはじめて「天真爛漫」も発見されたということになる。



漱石は、前近代であれば意識されなかったであろう成人男性の中の小児性を見つけ出す傾向が強いように思う。それはもちろん、〈西洋=近代〉を「大人」としたときに〈日本=前近代〉は「子供」であるという文明論的認識ともどこかで通底していただろう。



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倉田百三「女性の諸問題」の用例にも着目したい。



《涅槃に達しても、男子は男子であり、女子は女子である。女性はあくまで女性としての天真爛漫であって、男性らしくならなければ、中性になるのでもない。女性としての心霊の美しさがくまなく発揮されるのである。》



女性を「天真爛漫」と見なしたがる男性側の言説は枚挙に暇がない。これらの言説によれば、「天真爛漫」は「子供」の属性であると同時に「女」の属性でもあると言いたげだ。しかし、正確にはこうした言説を編制することにより「女子供」が同一視されたのである。



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武田泰淳蝮のすえ」の用例も引いてみよう。



《夢の中で、私は彼女に清純な恋をしていた。私はすなおで、おとなしくしていた。彼女も天真爛漫な笑顔をしていた。二人だけが生きていて、他には誰もいなかった。二人は安心していた。安心でいられることが私には不思議だった。たしかにそんなはずはないのにと私は思った。あたりは甘い匂いがして、真夏の昼らしかった。「大丈夫なのよ」「何故?」「わからない?わかるでしょう」彼女は特徴のある眉のよせ方をして私に言いきかせた。「ウン、わかる」と私は答えたが、実はわからなかった。そして夢が終った。
「何故二人はあの時、安心していられたのだろう」床の上に置きなおってから暫く私は考え込んでいた。「そうだ。もしかしたら二人はあの時、死んでいたのかもしれない」私は最後に、そんな結論に達した。》



一見、どうでもよい夢の話のようだし、事実これまでは注目されたこともなかった箇所だが、きわめて重要な箇所である。「蝮のすえ」の冒頭が、あの有名な「「生きていくことは案外むずかしくないのかもしれない」」という死/生の反転の宣言であったことを想起しさえすれば、この箇所との照応関係もおのずと明らかであろう。



つまり、夢/現、生/死、上海/日本が反転し得るるところに、女の「天真爛漫」な笑顔も輝くのである。さらに言い換えれば、「天真爛漫」は安定したものでもなければ、絶対的なものでもなく、相対的なものであり、不安定な足場に咲く幻の花であり、だからこそ生者=死者の「天真爛漫」な表情の裏に、死者=生者の苦患の表情が潜んでいるはずだと考えなければならない。もはや戦前のように脳天気に、それこそ天真爛漫に「女子供」を「天真爛漫」と形容する態度とは似ているようでいて非なるもの、くっきり一線を画していると捉えてみる必要があるのだと思うのだが、買いかぶりすぎかもしれない。



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知里幸恵アイヌ神謡集』の序は次のように書かれる。



《其の昔此の廣い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天眞爛漫な稚兒の樣に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと樂しく生活してゐた彼等は、眞に自然の寵兒、何と云ふ幸福な人だちであつたでせう。》



この例を引けば、「天真爛漫」が他者に貼られるレッテルであったことが確定する。そして、アイヌの神謡を追放したのは誰かという問いが浮上してくるだろう。そういえば、「友よ、それを徒らな天眞爛漫と見過るな。」(「或る心の一季節―散文詩」)と警告していた詩人がいたはずだ。中原中也である。傾聴したい。









※今回の記事は「2009-09-25 天真爛漫」を増補改訂したものである。旧版は、内田魯庵『文学者となる法』、福田英子『妾の半生涯』、山路愛山三宅雪嶺氏の世之中』の用例を挙げたが、割愛した。


ムミムシュウ




 無 味 無 臭






味もなければ、臭いもしないこと。
転じて、何ら趣がなく、おもしろみに欠けること。



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正宗白鳥「他所の恋」に用例がある。



《詩としても小説としても戯曲としても無味無臭ありさうなそれ等浄化された恋愛談》



比較的新しい四字熟語であると思っていたが、正宗白鳥は「無○無○」という四字熟語を偏愛したきらいがあり、「無味無臭」も逸早く導入したと見える。先駆的かつすぐれて現代的な用例である。とはいえ、古くさいかもしれないが、恋愛談にはやはり味があり臭いが立ち上るようでなければならないと思ってもしまう。正宗白鳥が今も生きていれば、近頃の恋愛談はいよいよ無味無臭が多いと嘆くであろうか。



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豊島与志雄「梅花の気品」にも用例がある。



《梅花の感じは、気品の感じである。
 気品は一の芳香である。眼にも見えず、耳にも聞えない、或る風格から発する香である。甘くも酸くも辛くもなく、それらのあらゆる刺戟を超越した、得も云えぬ香である。人をして思わず鼻孔をふくらませる、無味無臭の香である。それと明かに捉え得ないが、それと明かに感じ識らるる、一種独特の香である。何処からともなく、何故にともなく、何処へともなく、自からに発散して漂っている、浮遊の香である。》



否定的なニュアンスで用いられることの多い中、この用例は梅花の微醺をうまく捉えていて珍しい。「花看半開、酒飲微醺」とは『菜根譚』の一節であるが、日本人は元来、微香を好むものなのかもしれない。



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坂口安吾安吾巷談 麻薬・自殺・宗教」の例も引いておく。



《今、売りだされているカルモチンの錠剤。あれは五十粒ぐらい飲んでも眠くならないし、無味無臭で、酒の肴としても、うまくはないが、まずいこともない。田中がカルモチンを酒の肴にかじっているときいたときは驚かなかったが、カルモチンでは酔わなくなって、アドルムにしたという話には驚いた。あの男以外は、めったに、できない芸当である。》



田中というのは、田中英光のこと。いかにもというか、世の無頼派イメージに最も合致してしまう用例と言えるだろう。恋愛談ならいざ知らず、酒の肴が無味無臭のドラッグであるというあたりは常軌を逸している。しかし、安吾はそんなところに驚く玉ではなかった。



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松浦寿輝「ROMS」にも用例を見つけた。



《「しかし、妙に水のにおいがしないんだ」と平岡が言った。「水のにおいってものがあるでしょう。汚染とか何とかと無関係に。それがない」
無味無臭ね。まあ社会全体がそうですよ、このご時世はね」と鶴のような老人は言って、はんぺんをゆるゆると口に入れた。(下略)」》



隅田川が臭くないという話をするシーン。



この小説は語彙は非常に豊富だが、戦争を回想するにもかかわらず、生々しさが欠けている。それは作者に戦争体験がないゆえなのか、形而下的才能の不足なのか、恐らく両方だろうと診るが、何かしっくり来るものを感じないし、かなりの物足りなさが残った。この作者の持ち味が十分には発揮できていない。老人の語りなのに、書き手の年齢が容易に推測できてしまうところの詰めの甘さが、不満の根本原因であり、そこから作者への不満が広がっていき、止まらなくなってしまった。



もちろん、平岡が本名・平岡公威、すなわち三島由紀夫を指すというかパロディにしていることは明白で、また、先の無頼派やいわゆる戦後派から疎外され、さらには机上で構成された三島の仮想の〈戦争〉がいっそう退屈なものに劣化されていく二段階のプロセスを顕在化しようとしたアイデアについてもそれなりに理解しているつもりでもあるが、私一個のごくごく素朴な読後感として、それで作者の責任を回避できているかと言えば、そうは言えないように思う。作者の立ち位置が、意図的であるにせよ、曖昧である。



もちろん、もう一つ別の論点を急いで付け加えるべきだが、テーマ自体は非常に惜しかった。無味無臭社会の到来。〈マントヒヒ〉の「加齢臭も何もいっさい臭わない国になる。小説なんかも、近頃はどうやらそういうご清潔な言葉で書かれたものばかりが流行るようじゃないか」という言葉が、そのままこの小説自体にもダイレクトに差し向けられるべき評言であるところが痛ましくはあるものの、老人を今日の老人として捉えるのではなく、近未来の老人と捉えれば理解できないこともないテーマである。だからこそ、リアリティの設計や時間の設定にもう一工夫、SF的な衣裳を施してほしかったと、くどいようだが念を押す。歴史的な事実との折り合いをどうつけてよいのか、素朴に困る。しかし、仮想化が進みそれに合わせて加齢臭の無臭化、すなわち歴史の無化が進んでいくという批評的なテーマは、今後ももっと精巧に小説というかたちでも掘り下げてほしいと嘱望するところである。松浦さんはそれができる書き手だから。



ともあれ、今後ますます「無味無臭」という四字熟語の用例が増加の一途をたどることは間違いないだろうと、この小説を読んで確信した。


イッシンフラン




 一 心 不 乱






わきめもふらず、ただ一つのことに心を集中し打ち込むこと。
「一意専心」「一生懸命」「一所懸命」「一心一意」「一心一向」「精神一到」「無我夢中」「無二無三」ともいう。



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菊池寛恩讐の彼方に」に用例がある。



《が、市九郎は一心不乱に槌を振った。槌を振っていさえすれば、彼の心には何の雑念も起こらなかった。人を殺した悔恨も、そこには無かった。極楽に生れようという、欣求もなかった。ただそこに、晴々した精進の心があるばかりであった。彼は出家して以来、夜ごとの寝覚めに、身を苦しめた自分の悪業の記憶が、日に薄らいでいくのを感じた。彼はますます勇猛の心を振い起して、ひたすら専念に槌を振った。》



菊池寛の文章が大衆に受け入れられたのは、ハナシが面白かったことはもちろん、文章の書き方にも秘密がある。「一心不乱」という四字熟語を使用したら、すぐに「何の雑念も起こらなかった」「ひたすら専念に」というふうに、その語を知らない読者のために分かりやすく言い換えてあげるのだ。そして、それは読みどころでしっかり立ち止まらせるという読者サービスでもあっただろう。



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岡本かの子「金魚撩乱」にも用例がある。



《復一の神経衰弱が嵩じて、すこし、おかしくなって来たという噂が高まった。事実、しんしんと更けた深夜の研究室にただ一人残って標品を作っている復一の姿は物凄かった。辺りが森閑と暗い研究室の中で復一は自分のテーブルの上にだけ電燈を点けて次から次へと金魚を縦に割き、輪切にし、切り刻んで取り出した臓器を一面に撒乱させ、じっと拡大鏡で覗いたり、ピンセットでいじり廻したりして深夜に至るも、夜を忘れた一心不乱の態度が、何か夜の猛禽獣が餌を予想外にたくさん見付け、喰べるのも忘れて、しばらく弄ぶ恰好に似ていた。切られた金魚の首は電燈の光に明るく透けてルビーのように光る目を見開き、口を思い出したように時々開閉していた。》



研究者の集中力を客観的に覗くと、このように見えるのだろう。「夜の猛禽獣」に喩えたのも効果的である。



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京極夏彦巷説百物語』にも用例がある。



《人形には生はない。しかし精はある。
 人形造りが造り籠めるものか、人形遣いが注ぎ込むものか、依り憑くものか湧き出ずるものかは知らないが、慥かに精はある。だから人形を何年も扱っていると、これが動かぬ方がどうかしているというような、そんな気がして来るものである。
 例えば。
 一心不乱に繰っていると、やがて己が人形を動かしているのか、人形が己を動かしているのか解らなくなる瞬間が訪れる。そしてそのうち、どちらでも良いような境地に行き着く。
 そこまで行かねば、本物ではない。》



「一心不乱」という用例ばかりを集めていると、集中力の選手権大会を実施しているような錯覚にとらわれるが、過度に集中を深めると、特別な境地に達するようである。



この場合は、人間と人形の境界が融け出しはじめる。たしかに、人形をずっと見ているだけでも吸い込まれそうになった経験は誰にでもあるだろう。さらに、そこから踏み込んで「どちらでも良い」(原文は傍点付き)という境地に到達させるものが、まさに「一心不乱」という心的態度なのであろう。



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「一心不乱」はもともと「一心不亂に念佛せよ」(『阿彌陀經』他)のように用いられた仏教の用語だったが、宗教にせよ、芸術にせよ、その奥義は、この心的態度に存するのかもしれないと思わせるものがある。


シンキイッテン




 心 機 一 転






何かをきっかけとして、気持ちをすっかり入れ替えること。
明るい気持ちに切り替えて、新たにやり直すこと。
「飲灰洗胃」「改過自新」「緊褌一番」「呑刀刮脹」ともいう。



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夏目漱石『それから』に用例がある。



《三四年前の自分になつて、今の自分を批判して見れば、自分は、堕落してゐるかも知れない。けれども今の自分から三四年前の自分を回顧して見ると、慥かに、自己の道念を誇張して、得意に使ひ回してゐた。渡金を金に通用させ様とする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽である。と今は考へてゐる。
 代助が真鍮を以て甘んずる様になつたのは、不意に大きな狂瀾に捲き込まれて、驚ろきの余り、心機一転の結果を来たしたといふ様な、小説じみた歴史を有つてゐる為ではない。全く彼れ自身に特有な思索と観察の力によつて、次第々々に渡金を自分で剥がして来たに過ぎない。代助は此渡金の大半をもつて、親爺が捺摺り付けたものと信じてゐる。其時分は親爺が金に見えた。多くの先輩が金に見えた。相当の教育を受けたものは、みな金に見えた。だから自分の渡金が辛かつた。早く金になりたいと焦つて見た。所が、他のものゝ地金へ、自分の眼光がぢかに打つかる様になつて以後は、それが急に馬鹿な尽力の様に思はれ出した。》



〈驚きのあまり心機一転〉という言い方には実は幸田露伴の『いさなとり』の中に先例があって、実際「狼狽愕く其中に心機一転」といったあたりを踏まえている可能性はあるのかもしれませんが、しかし、ここでの要点はむしろそうした驚きといった大きな感情の波を伴う「心機一転」を、あるいは小説じみたドラマティックな展開を峻拒する主体にあり、そこにまた漱石の独自性もあるはずと思うのである。メッキを剥いで真鍮は真鍮で行こうという主張は、漱石の文明論にも通ずる反近代の思想がありありとうかがえる。



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源氏鶏太「鬼の流行」というエッセイの中にも用例が見える。



《私が「幽霊になった男」という短篇小説を書いたのは、昭和四十五年であった。どういう動機でそういう小説を書く気持になったのかはよく記憶していない。恐らく今まで通りのユウモア小説を書いていたのでは、もう先が見えているようなものだし、ここらで心機一転をと狙ったのであろう。しかし、殆んど反響がなかった。》



源氏鶏太は突然、作風を転じる。これまでのユーモア小説から一転、妖怪変化の出てくる小説群を書くようになるが、それを「心機一転をと狙ったのであろう」とまるで他人事のように書いているところは源氏らしい。最新の研究によれば、源氏鶏太は初期のころ、詩と民謠の世界から散文へと飛躍したということが分かるが、ここでもう一度転機が訪れたと見るか、初期に回帰したと見るかは、容易に推断できないところがある。



ただ、一つはっきり言えることは、富山弁ではユーモア小説は書きにくいと言っていたところからして、源氏にとってのユーモア小説は、標準語=ペンネーム、つまりメッキで書くものだったということである。その意味でも、また反響を求めていないことからも、源氏が妖怪変化に託したものは、単なる妖怪変化ブームとは一線を画す何かであったはずだということができる。その真鍮的「何か」を解き明かすことが、これからは大切だろうと考える。


リロセイゼン




 理 路 整 然






文章や議論などにおいて、論理や筋道が整っていること。
かつては「理路井然」と表記することも多かった。
「順理整章」「条理井然」ともいう。対義語は「支離滅裂」。



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菊池寛「仇討禁止令」に用例がある。



《恒太郎は、成田の怒声にも屈することなく、温かな平生通りの声で、
「成田殿のお言葉ではござりまするが、徳川御宗家におかせられましても、いまだかつて錦旗に対しお手向いしたことは一度もござりませぬ。まして、御本家水戸殿においては、義公様以来、夙に尊王のお志深く、烈公様にも、いろいろ王事に尽されもしたことは、世間周知のことでござります。しかるに、水戸殿とは同系同枝とも申すべき当家が、かかる大切の時に順逆の分を誤り、朝敵になりますことは、嘆かわしいことではないかと存じまする」
 恒太郎の反駁は、理路整然としていたが、しかし興奮している頼母には、受け入れらるべくもなかった。
「何が順逆じゃ。そういう言い分は、薩長土などが私利を計るときに使う言葉じゃ。徳川将軍家より、四国の探題として大録を頂いている当藩が、将軍家が危急の場合に一働きしないで、何とするか。もはや問答無益じゃ。この頼母の申すことに御同意の方々は、両手を挙げて下され。よろしいか、両手をお挙げ下さるのじゃ」
 時の勢いか、頼母の激しい力に圧せられたのか、座中八、九分までは、両手を挙げてしまった。》



「理路整然」の方がよいように思うのだが、不合理な「支離滅裂」の方が支持されたり選択されたりすることは少なくない。それは語り手が地の文で指摘するように、時の勢いなのかもしれないし、激しい力によるものなのかもしれないが、不思議である。漱石草枕』の画工でなくとも「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」という心境は誰の身にも覚えがあるだろう。



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小酒井不木『心理試験』序にも次のような用例がある。



《もし探偵小説家が、毫厘のスキもないようにと、それのみに力を入れたならば、それがために却って芸術的価値の薄いものを作り上げるようになりはしないであろうか。文芸は虚実の間を行くといった近松翁の言葉は、探偵小説にも応用してかまわぬではあるまいか。もとより、理路井然として、少しの不自然もないように出来ればそれに越したことはないけれど、作品の芸術的効果を無視してまで、「理」に忠実なろうとすることは、私の取らない所である。》



本格か、変格か。ミステリをめぐる批評で絶えることなく浮上する言説であるが、小酒井不木によれば、それが文学であり芸術であるとするなら、単に「理路井然」というわけにもいかないらしい。



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岡本かの子「狂童女の恋」にも用例がある。



《西原氏の顔へ向けた少女の凝視があまり続くので、母親が口を切つた。
――英子、折かく先生にお目にかゝつたのですから、何かお話をなさい。
 すると少女は舞台の人形振りのやうにこつんと一つうなづいて、大人のやうに、ゆつくり話し出した。
――あの先生。先生はいつ、お嫁さんをお貰ひになるの。先生のお嫁さんになるには、こどもぢや、いけなくつて。あたし、先生のお嫁さんになりたいんだけれども。けれども、こどものお嫁さんつてないわね。こどものお嫁さん貰ふとお巡査さんに叱られるの?
 西原氏は驚いた。こんな理路整然とした恋ごゝろの表現が氣狂ひの口から出るものなのか。もちろん少女のことなので、いふ言葉はあどけない。しかし、このあどけないものに、もつと大人の言葉を置き換へたら情緒を運ぶ順序においては、もうそれは少女のものではない。立派に成熟した一人前の男に対する口説き方だ。西原氏は怖ろしくなつて、少女を思ひ切つて睨み据ゑた。そして腹のなかでかういひ据ゑた――お前にさういはせるのは何者だ、どの魄だ。》



「西原氏」が「きちがひの女の兒に惚れられた話」である。“狂人”なのに「理路整然」としていることへの驚きが表白されているわけだが、実は「理路整然」とし過ぎているから“狂人”というレッテルを貼られるという側面もあるだろう。同様のことは“子供”についても言える。いずれにせよ、「理路整然」はやはり疎外されると言わなければならない。



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中野重治『むらぎも』にも用例があるので、引いてみよう。



《「少しごちそうが食いたいナ……」という考えが浮かんでくる。佐伯の「おばさん」を息子のとこへ返したあと、じっさい目に見えて食いものがまずくなっていた。実直一方の今のおばさんは、一心にやってくれるが芸術的でない。飯台に並んだのを見ると理路整然としている。そしてひと目で腹がたつ。しかし咎めるわけには行かない……》



さっきまで絵画の話だったが、ここで急に食事の話に切り替わる。「花より団子」という諺が思わず脳裏を掠めないわけでもないが、ここでの「理路整然」の使用例が実にユニークである。本来、食事を批評する言葉ではないし、「芸術」と対義語になっている点でも個性的である。曖昧な表現であるはずなのに、なぜか納得させられてしまう。どのような料理なのか、大方、想像できるのである。真面目なおばさんがまごころ込めて一生懸命作ってくれた料理なのだろうが、そういう書き方をしたのでは批判できない。そこでやむを得ず「理路整然」という四字熟語が出てきたのだろう。



中野重治プロレタリア文学の大家であり、彼の作中では、いくら芸術的な高尚な人間だからといって、一生懸命作ってくれた料理を平凡だからといって批判することは許されていない。その意味で、中野の文章は他の誰よりも地の文の統制がよく効いていると思う。



「腹がたつ」けれども「咎めるわけには行かない」というところまで読むと、なるほど「理路整然」という言葉の本来持つ語感に忠実な用例であると知れる。「理路整然」という四字熟語は、ひょっとすると「咎めるわけには行かない」けれども、何か腑に落ちない感情を作り出すもの一般に適用可能というか、向け得る語として可能性をはらんでいるのかもしれない。



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三島由紀夫潮騒』にも用例がある。



《もちろんこれほど理路井然とではなく、前後したとぎれとぎれの話し方ではあったが(下略)》



最近では、地の文における翻訳機能という問題が専門家の間では注目されるようになってきた。要するに、どんな小説にも語り手がいて、その語り手が語り手の趣向に応じて、出来事や登場人物を語りなおすというわけである。三島由紀夫という人は、良くも悪くも「理路整然」という四字熟語が似合う作家だが、この“翻訳”の仕方からもその一端はうかがえよう。


キョウハクカンネン




 強 迫 観 念



頭にこびりついて離れず、打ち消そうとすればするほど強く迫ってくる不安や不合理な考え。オブセッション






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島木健作『癩』に用例がある。



《何とはなしに無気味さを覚えて寝返りを打つとたんに、ああ、またあれが来る、という予感に襲われて太田はすっかり青ざめ、恐怖のために四肢がわなわなとふるえてくるのであった。彼は半身を起してじっとうずくまったまま心を鎮めて動かずにいた。するとはたしてあれが来た。どっどっどっと遠いところからつなみでも押しよせて来るような音が身体の奥にきこえ、それがだんだん近く大きくなり、やがて心臓が破れんばかりの乱調子で狂いはじめるのだ。身体じゅうの脈管がそれに応じて一時に鬨の声をあげはじめ、血が逆流して頭のなかをぐるぐるかけ巡るのがきこえてくる。歯を食いしばってじっと堪えているうちに眼の前がぼ―っと暗くなり、意識が次第に痺れて行くのが自分にもわかるのである。――しばらくしてほっと眼の覚めるような心持で我に帰った時には、激しい心臓の狂い方はよほど治まっていたが、平静になって行くにつれて、今度はなんともいえない寂しさと漠然とした不安と、このまま気が狂うのではあるまいかという強迫観念におそわれ、太田は一刻もじっとしてはおれず大声に叫び出したいほどの気持になって一気に寝台をすべり下り、荒々しく監房のなかを歩きはじめるのであった。手と足は元気に打ちふりつつ、しかも泣き出しそうな顔をしてうつろな眼を見張りながら。》



ここでは心悸亢進に悩まされる太田の様子がリアルに表現されているが、こうした状況をただ説明するだけでは飽き足りず、「強迫観念」という語を付加したのが作家の腕である。「強迫観念」という四字熟語だけで説明した気になるのでは駄目で、説明だけでも不十分であるという意味では、この引用を小説の書き手になろうとする人に贈りたい。



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黒島伝治武装せる市街」にも用例はある。



《幹太郎は、この一家を襲っている二つの恐怖を感じた。同時に、妹も母も、支那兵の乱暴に対する強迫観念のようなものは、戦慄するほど強いが、中津の恐ろしさは、女達が、殆んど意識していないと思った。殊に、それを気にとめていないのは母だった。それが、彼は不満だった。母は、わざと、中津を家に引き入れているように見えた。彼は母と対立した。その気持は、知らず/\、言葉となって母が感じたかもしれない。》



支那兵」そして「中津」という二つの脅威は、たとえば従軍慰安婦問題に代表されるような、あるいは女性に対する男性の暴力一般と言ってもよいだろうが、より大きな内外での脅威を隠喩するものとして機能し得るだろう。「強迫観念」という四字熟語の用例を辿っていけば、内面の歴史、そして負の歴史にも照明を当てることができる。すぐれた文学の効用は、一般の言説が覆い隠す部分を無意識的に露呈させてくれるところにある。



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柏原兵三「贈り物」の用例も引く。



《私の頭の中に、その小説を読んで恐ろしい過去の思い出に再び苦しめられ始めたゲルハルト夫人の姿が、強迫観念のように泛んで来るのを、私はどうすることもできなかった。》



「その小説」とは芥川龍之介の「藪の中」を指している。そして、ゲルハルト夫人には「忘れようとし、心の密室の奥深くに封じ込めてしまうことに成功し」た「二十年前の忌まわしい記憶」があるのだが、「藪の中」が収録されたアンソロジーを贈ってしまったというのが「贈り物」の核である。



芥川賞を受賞した柏原兵三は、内向の世代と言われて期待されたが、若くして亡くなった。この「強迫観念」という四字熟語の最もすぐれた使い手の一人であった作家の再評価が待たれるところである。


トクイマンメン




 得 意 満 面






事が思いどおりになって、満足した気持ちが顔いっぱいにあふれるさま。
「喜色満面」ともいう。



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太宰治お伽草紙』に用例がある。



《狸は爺さんに捕へられ、もう少しのところで狸汁にされるところであつたが、あの兎の少女にひとめまた逢ひたくて、大いにあがいて、やつと逃れて山へ帰り、ぶつぶつ何か言ひながら、うろうろ兎を捜し歩き、やつと見つけて、
「よろこんでくれ! おれは命拾ひをしたぞ。爺さんの留守をねらつて、あの婆さんを、えい、とばかりにやつつけて逃げて来た。おれは運の強い男さ。」と得意満面、このたびの大厄難突破の次第を、唾を飛ばし散らしながら物語る。
 兎はぴよんと飛びしりぞいて唾を避け、ふん、といつたやうな顔つきで話を聞き、
「何も私が、よろこぶわけは無いぢやないの。きたないわよ、そんなに唾を飛ばして。それに、あの爺さん婆さんは、私のお友達よ。知らなかつたの?」》



一方が得意で、他方の異性が冷めているというのは、劇的な会話のいわば常道だが、太宰的なエクリチュールで忘れてならないのは、地の文の役割だろう。「得意満面」という四字熟語を使用し、さらには「大厄難」などという大袈裟な言葉を使って、「唾を飛ばし散ら」す様子を切り取る語り手の手際があるので、いっそう劇化され、同時に滑稽化されるという仕掛けである。なお、太宰治の場合は、他のテクストにも「得意満面」という四字熟語が頻出する。



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三浦哲郎「十五歳の周囲」にも用例が見える。



《その飛行機の搭乗員はきわめて若い青年であったと思われます。もしかしたら、初陣。彼は最初の攻撃で爆弾をうまく目標物に命中させ、われながら見事、飛行服の胸をわくわくさせて、夢中で街の上空まで飛んで来て、さてゆっくり一周、母艦へ帰ったら、早速故国の母と女友達に今日の手柄を書き送ろう、それから仲間に一ぱいおごらせて、チーズを山ほど食べよう、など、得意満面でランランランと歌いながら胸のはずみに合わせて何気なく発射ボタンを押した。――そんなことにちがいありません。ちょうど私たちが、なにか心楽しむことがあって散歩に出た時、地平線の上に、いろいろな空想の虹を描きながら、なんの気なしに道の小石をけとばすように。》



想像の暴走。あるいは、加害者と被害者の非対称性。そういったことを思わせる文章である。



実際は飛行機の搭乗員が若い青年であったかどうかは分からないし、発射ボタンを押すときの心情がそこまで弾んでいたかどうかも不確かだ。そういった意味で、これは想像の暴走であると言える。



被害者の苦しみに比して、加害者が脳天気でありすぎるといった非対称性は、戦争のテクノロジーが高度化して、命がけという精神的なものから遊戯的なものへと変化した第二次世界大戦以降、枚挙に暇がない。しかし、いつかの『毎日新聞』によれば、最近のアメリカ合衆国では敵国に赴くことなく、ラジコン操作のように、ゲーム感覚で空爆をやっていると聞く。



そういう意味では想像の暴走が、暴走でありながら事実と合致してしまったということもできるわけで、恐ろしい時代になってしまったというよりほかない。